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こうちゃんのウオーキング(路)あれ・・これP-9(1)

 投稿者:金林浩吉  投稿日:2017年10月28日(土)16時12分39秒
返信・引用 編集済
   旧東海道の名残を探しに西へ、熱田宮宿「七里の渡し場」へ・・・

 旧東海道の呼続、山崎の長坂と言われた坂を下りきった所に山崎川があり
かっては渡船着場があり、呼続~熱田宮宿を船でも往来していた所をスタート・・・
その山崎橋を渡るとすぐ左側に、往来する人々の様、姿の変わりようを見てきたであろう
小さな古い神社があり、ゆるやかな下り坂のその先で1号線に合流している。

 ここから熱田宮宿に向けて、八町畷(なわて)といわれ両側には家もなく松並木だけの
寂しい道であったと・・・又、一号線交差点手前左側には、明治元年(1868)
明治天皇が初めて稲穂の収穫をご覧になった所があったと・・・(現在は国道とビルの中)
近くの神社に『明治天皇覧積之所』の碑がある・・・

 歩道橋を渡り側道の歩道沿いに、あの懐かしい二宮金次郎の石像があり所どころ
苔むしているような?台座上の姿であり、過ごした歳の流れを感じさせていた。
なぜこの場所に?・・・遠き昔、子供の頃、笠寺学区内のどこかで見た記憶が・・・思い出せずに
その場を離れ先に進むと一号線と合流するする場所に・・・

 その先はJR東海道線を跨ぐ陸橋があり、私は南の側道を通り踏切を越えると、今度は
新堀川の熱田橋に辿り着いた。橋の袂(たもと)のお茶屋さんで「七里の渡し」への
道を尋ね先へ・・・

 名鉄常滑線ガード横の、大きな木の下に熱田宮宿の案内があり
  『水と、緑と歴史のまち、宮地区』と題して(詳細省略)
 堀川の水、熱田の緑、東海道四十一番目の宮宿として当時の役割と歴史等の紹介が・・・

 更に歩を進めると、かっての熱田社、門前町の名残であろう商店街の街路灯支柱に
旧東海道と記された看板があり、また歩道上には松並木を模した東海道や弥次さん喜多さんを
絵にした表示等が、路面の一部に現れた。・・・

     (2)に続く
 画像はクリックして下さい(拡大します)

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こうちゃんのウオーキング(路)あれ…これP-9(2)

 投稿者:金林浩吉  投稿日:2017年10月28日(土)15時13分41秒
返信・引用 編集済
   今度は伝馬町~内田橋へ通る広い道路の手前に裁断橋跡と標柱があり
当初は宮宿の東はずれを流れる精進川があり、東海道筋に架かっていたが
昭和の初めに埋められ廃橋となり、現在は縮小されたレプリカ橋があった。
この橋は天正18年(1590)小田原の陣で18歳になる我が子を亡くした
母親が菩提を弔う為に架け替えを行った橋だと・・・
・又、一角の姥堂には、当時旅籠の飯盛り女に歌われ始めたという都々逸の
発祥地を伝える碑があった。・・・

 伝馬町交差点方面へ・・・地下鉄出入り口横に『熱田区史跡散策路』と題した案内板には
熱田神宮や伝馬町周辺、そして宮宿七里の渡し等々が絵付きで分かり易く紹介されていた。

 旧東海道沿いの商店街は賑わいもなく素通りし19線を越えて、旧東海道を探したが
見つからず、近くの畳屋さんに尋ねると、旧東海道は当初で一旦途切れ200m位い
南へ行った『宮・七里の渡し場』から西に向けて、更に続くとの事であった。・・・

 初めて訪れた宮の渡し公園の入口には、伊勢湾台風で内田橋周辺が受けた大水害被災の
案内板があった。・・・50数年前の9月26日の一夜を思い出す事になった。・・・
公園内を更に進むと目指す渡し場があり、周辺には当時の渡し場に関する歴史の一部が
案内されていた。・・・その一部として(抜粋)
  『熱田湊常夜灯』の変還
  ・江戸時代熱田は宮と呼ばれ、桑名までの海路『七里の渡し』の舟着場として栄えた。
   常夜灯は寛永2年(1615)犬山城主成田正成の遺命を受け建立されたが・・・
   その後、風害破損した為、承応3年(1654)再建されたが・・・
   寛政3年(1791)付近の民家からの失火で焼失し、再々建・・・

   その後も航行する船の貴重な目標灯となっていたが、戦災で再び焼失。・・・
   昭和30年、58年にかけて復元されて、往時の名残をとどめ現在に至る。


  『鐘楼・時の鐘』について
   延宝4年(1676)尾張藩主光友の命により蔵福寺に『時の鐘』が設置され
   熱田に住む人や東海道を旅する人達に正確な時刻を知らせる重要な役割を果たしていた。

  ・昭和20年の戦火で鐘楼は焼失したが、「時の鐘」は損傷を受けず今も蔵福寺に
   保存されていると・・・
  ・熱田の古い文化を尊ぶ市民の声が高まり、往時の宮宿を想い起し、この公園に建設された・・・

  『ドイツ人医師・シーボルト』について
   安政9年(1826)2月、オランダ使節に随行して江戸に参府する際と
   4月、長崎への帰路、宮宿で会見し名古屋の医学・植物学の研究者に貢献したと・・・

 公園を挟み込むように、堀川と新堀川が交わるこの地から、かって南に向けて
海が広がっていたが、現在は両側が埋め立てられ細長い川のように名古屋港方面へ・・・
そして桑名『七里の渡し着場』へと続く事に・・・

 当時、5~6時間は要したこの海路、船上ではいろいろな出来事もあったであろうと
想いを残した。・・・近くに住んでいるが初めて訪れた、かっての熱田宮宿であった。
又、投稿に当たり、宮から桑名への「七里の渡し着場」を訪れる事になぜか心が動かされている。


【後記】
  宮宿は熱田社の門前町であり東海道、美濃、木曽の諸街道への重要な分岐点で
 江戸時代には参勤交代で通行する諸大名や伊勢参りをする庶民の為の宿泊施設が
 建ち並び、当時住民1万人を超える人々が、共に生活する東海道一番の賑わいを
 見せていたであろう。・・・
              旧東海道、熱田宮宿、歴史探訪のウオーキング終了

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親父の思い出

 投稿者:宮﨑 勲  投稿日:2017年 9月30日(土)13時44分56秒
返信・引用 編集済
    ”親父の思い出”
 この数年間、異常気象が日本の四季を感じられないほどに人も生きづらく
なっていると思われてなりませんが、皆様はお元気でお暮しでしょうか?

 さて、先ずはじめに、中学3年当時の私と同じクラスD組の安藤(旧姓 黒野)さんに
お礼を申し上げねばなりません。
それは、私の姉順子(もとこ)「昭和29年3月本城中学卒業」が(ヒノキにしのぶ父の姿)
と題する下記添付の作文を中日新聞の発言欄に投稿したところ、たまたま本年7月16日付
の新聞に掲載されたことをわざわざ私に知らせて頂いた嬉しさと喜びにあり、
また、姉の親父への思いを文字で初めて知るに至った喜びをあらためてかみしめる機会を
与えられたことにあります。本当にありがとうございました。

 この夏をむかえ、私も親父より1年永く生きたことになり、上記の新聞記事より
思い起こすと、第二次世界大戦直後の昭和20年代の貧しかった我が家の
くらしと共に、親父のうしろ姿がなつかしく蘇ります。

建具職人の親父は、生きるのに精一杯で、盆と正月のごく短い休みの日々の他は、
毎日朝食前から夜遅くまで身をけずるようにして仕事に励んでいた印象が強い。
つまり、そんな親父はヒノキの香りの中で家族をやしなうため懸命に頑張って
いたようである。

 その親父が教えてくれたことの ひとつ、ふたつ を振り返るとその心の内が
分るような気がする。

 そのひとつ、国から”赤紙”の送達を受け戦前の幾年かの間、兵役に服した折り
(四国の小松島と松山の海軍航空隊基地に駐屯)貴重な体験として強く心に
刻まれた話のひとつをしてくれた。
それは、軍での日々は厳しい規律による堅苦しい生活であり、時に休暇が取れると
駐屯地近隣の民家にお邪魔させて頂く機会があり実に楽しい息き抜きであったようです。
その折には、いつも「兵隊さん ご苦労様」とのねぎらいの言葉をかけられ、
同時に美味しい御馳走のおもてなしを受け、駐屯地近隣の方々の温かいお心遣いが
とても嬉しく有難い体験であった・・・と幼かった私に伝えてくれたことを今も
思い出すことができる。
勲、お前もそのことの感謝の念を決して忘れるな!とその親父の声が聞こえます。

 また、ひとは時に莫迦(馬鹿)にならねばならないと教えてくれたこと。
本当の馬鹿に近いところにいる私には、この境地には、いまだ達していないことを
恥じる今日この頃である。

 仕事で忙しい戦後の辛い生活の中でも4人の子供たちに、日常のくらしで
直面する問題をかかえながら、それによるいらだち、あせり、怒りなどの気持ちの
乱れを見せることなく、いつも穏やかな態度で接してくれた・・・
これも、今現在の私は、そのレベルに達していないことを痛感、子供たちに
申し訳ないと頭を下げざるをえないと自戒している。
以上
    平成29年7月16日 (日曜日) 中日新聞記事 添付


    クリックすると画像は拡大できます
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四季を彩る絵手紙展2-1

 投稿者:半坂 正美  投稿日:2017年 5月23日(火)11時39分28秒
返信・引用 編集済
   阿知和はつゑさんが通う絵手紙教室の作品展が5月16日~21日まで
名古屋市博物館にて開催されました。
今回で14回目の展示会ですが、四季を彩る絵手紙展としては12回目の
開催となるそうです。

 生徒さん16名の趣向を凝らした作品が会場いっぱいに展示されていました。
特にハガキに拘らずニ双紙、牛乳パック、コーヒーフィルター、食品トレイ、
ホタテ貝殻と身の回りの物を、画材としてとてもうまく利用され
グッド・アイディアだと思います。

 阿知和さんは絵手紙の魅力を
  ・絵手紙は生涯の友達であり、人生の恋人です。
  ・そして絵手紙を通して良き仲間に出会え感謝の気持ちで一杯です。
  ・悩みは、私達の平均年齢が75歳と高齢な事で、いつまで継続できるか・・・
   これからも元気で居られる限り、ずーっと続けたいと思います。
  写真上  展示会場
    中   〃
    下   〃

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四季を彩る絵手紙展2-2

 投稿者:半坂 正美  投稿日:2017年 5月23日(火)11時10分29秒
返信・引用 編集済
   阿知和はつゑさんの作品です。
  写真1:筍と大根
     :尾張七福神
      (ちなみに名古屋七福神めぐりもあり 笠寺観音は恵比寿様です)
  写真2:優しそうなお地蔵様
     :かご一杯・コヒーフィルターに描かれた作品
  写真3:絵手紙を見に来た会のみなさんです

 ・絵手紙とは少し外れますが、ちょっとユニークな法則を紹介します。
   長生きするための『かきくけこ』の法則
          1.感動すること(深く物事に感じて心を動かす)
          2.興味を持つこと(知りたい、面白いと感じる心)
          3.工夫すること(より良い方法手段を考えめぐらす)
          4.健康 ・腹七分
                ・バランスの良い食事
                ・よく噛む
                ・運動(通常より少し歩幅を広くして歩く)
          5.恋をすること(片思いですよ!)
             (ワクワク・ドキドキすること・・・心のときめき)
           是非 実践してみて下さい。
                         以上
 

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こうちゃんのウオーキング(路)あれ・・これ P-8(1)

 投稿者:金林 浩吉  投稿日:2017年 5月18日(木)14時08分24秒
返信・引用 編集済
    今年もきた、来た・・・ウオーキング・メインコースに花咲く春が来た

3月中旬
  新瑞橋~桜山方面の環状線に、冬の名残であろうか、まだ冷たい北風が
 吹き抜けるその歩道上には、「早春」を告げるかの様に「コブシ」の花が咲き初めており
 マックスバーガー日本1000店目、表示のある記念プレート前の日溜まりにあるコブシの木は、
 もう満開近くになっていた。  (ウオーキングMAP)  (写真1)

  環状線両側の30本近くのコブシが最初に訪れた、春の花宴である・・・

3月下旬
  そのコブシの花が散り急ぐ頃、山崎川に架かる石川大橋を右折すると
 川沿い周辺に春を運んでくるかのように、白く小さな花を連ねて咲き誇る
 「ユキヤナギ」が迎えて呉れた。・・・川下に沿って所々に見られる光景である。
   (写真2)

       画像はクリックすると拡大で見られます → 2に続く

 

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こうちゃんのウオーキング(路)あれ・・これP-8(2)

 投稿者:金林 浩吉  投稿日:2017年 5月18日(木)13時47分5秒
返信・引用 編集済
  3月末
  瑞穂区役所を右折すると桜並木が続くが、今年は気温のせいか、開花が
 遅れ気味であり、4月上旬が見頃となった。・・・「中春」となった川の両岸には
 「桜花」が満開となり、淡いピンク色の花が目一杯に覆い心身を癒して呉れる
 ウオーキングとなっている。

  人気スポットでもある木造のかなえ小橋では、満開の桜を待っていた如く(写真3)
 多くの人達が三々五々に訪れ、写真を撮りながら春を満喫していた・・・
 また、風物詩であろう屋台には、焼き芋の香りに誘われて列をなして買い求める人達も
 皆笑顔であり、楽しそうであった。(写真4)

  昭和3年に500本の桜が植えられ、以降川の上流にも増植されたが、現在は
 老木が目立ち、世代交替を待っているようでもある、山崎川の桜木である。
→3に続く 
 

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こうちゃんのウオーキング(路)あれ・・これP-8(3)

 投稿者:金林 浩吉  投稿日:2017年 5月18日(木)13時26分21秒
返信・引用 編集済
  4月上旬
  人々を楽しませて呉れた桜も散り終える頃、今度は「里ざくら」の春・・・出番である。
 瑞穂区役所前の歩道際には、満開を迎え濃いピンク色した里ざくらが通りを覆っていた。
 バス停でバスを待つ人達にも、楽しき待ち時間であったろうと思うが・・・(写真5)

    その近く、瑞穂区役所庁舎の紹介掲示板には・・・
   ・昭和19年  昭和区と熱田区の一部が分かれ、合わせて誕生。
   ・昭和23年  現在地に木造二階建てを新築。
   ・平成8年   現在の庁舎となったと。

  当時、瑞穂通りを走っていた市電は、昭和16年に新瑞橋まで開通し、更に笠寺方面に延伸
 昭和49年に地下鉄 名城線・金山~新瑞橋間が開通し、同時に市電は廃止になったと・・・

  60数年前の周辺の町並み写真が掲示されているが・・・私には子供の頃住んでいた
 笠寺・南区役所辺りの姿と重なり、又 思い出し懐かしさを感じた一瞬でもあった。(写真6)

4月下旬
  満開に咲き誇っていた里ざくらも終えたが、一部の枝には遅れ咲きした花であろうか
 別れを惜しむかの様に、残り咲していた。

5月上旬
  気温上昇と共に、少し汗をかくウオーキングとなる頃、最終の花宴というべきか(写真7)
 山崎川周辺には、色鮮やかな「ツツジ」が咲き乱れ「晩春」が過ぎ去ろうとしていた。・・・

  そして瑞穂グランドの下流落合橋近くでは、50cmを超えるであろう数匹の大きな鯉が
 川面をバシャバシャとたたき、まるで鯉(恋)の季節を謳歌するような光景が見られ
 初夏へと移り変わろうとしている。・・・

  最後に巡りくる この春を、この情景をあと何回元気でウオーキングしながら
 見ることが出来るであろうかと・・・ふと思いながら今回は二カ月に亘り、時系列的に
 ウオーキングコースの花模様を投稿しました。

 これから。樹木が新緑~深緑へと変化する中
            初夏の陽射しを受けてのウオーキングとなろう。
                          今回は以上です



  

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H29年・年賀状 2-2

 投稿者:宮本君子  投稿日:2017年 1月 6日(金)21時18分29秒
返信・引用 編集済
  上 街並みスケッチの半坂正美さんの、白樺の清々しいスケッチ。
  乗鞍高原の一ノ瀬だそうです。

下 伊藤郁子さんの水墨絵てがみです。
  水墨絵てがみ歴10年の、郁子さんさすがです。

 

H29年・年賀状 2-1

 投稿者:宮本君子  投稿日:2017年 1月 6日(金)20時22分19秒
返信・引用 編集済
   あけましておめでとうございます。
遅くなりましたが、今年の皆さんからの年賀状を紹介します。

上 毎年恒例の稲熊勇夫くんの東海道53次の版画です。
  「腰を痛めて長く座っていると足が痛くなるが、
  何とか今年も版画を仕上げることが出来ました。」と。
  毎年二ヶ月近くかけて、仕上げているそうです。

下 安藤かずみさんの絵てがみ年賀状。
  明るくのびのびとして、今年も良い年になりそうです。

 

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