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生涯学習支援活動を始めて、この11月には丸39年。これを過ぎると40周年を迎える。きっかけは、京都新聞で連載していた「日曜おんな大学」というコラムだった。「貝原益軒の『女
大学』みたいやんか。いくら、パロデイでも古臭い」と、30代半ばだった私は、男性3人の共同執筆で持つことになったコラムのネーミングには、うんざりした。このコラム、当時の
NHKの朝の人気番組「こんにちは奥さん」からヒントを得た、京都新聞学芸部部長M氏の
アイデアだった。アメリカの市民生活のルポを連載した続きに依頼された仕事だった。
しかし、この古めかしいネーミングのコラムには、「大学」に進みたくても「女は進学させられぬ」と親に言われて諦めていた主婦読者から感激の手紙が寄せられ、目からウロコが
落ちた。成績がよくても進学できなかった女性たち。貧しさと偏見のためだった。
このコラムの終了後、私は左京区文化協議委員の一人として、区長に生涯学習講座を左京区の文化事業として始めるように提言したのだった。せいぜい50人くらいしか来ないと見られていたが、ふたを開けると約200人。行政が用意した会場は狭すぎた。
「主婦は夕焼けを知らなかった」とは、左京区在住の詩人、臼井喜之介さんの詩の一節。
家事と育児と老人介護と近所づきあいを一身に背負って、夕焼け空を見る暇さえなかった主婦が変わろうとしていた。人生半ばからの出発を、学び直しから始めようとしていた。ふたを開ける前夜、京都新聞記者はこの女性講座を「京のおんな大学」と名づけた。またまた「女大学」にちなむ呼称である。顔をしかめていた私の耳に、このやわらかな響きがいいという声が届く。それから5年、10年ーーという当たりは飛ばそう。読売教育賞を頂き、何冊か本を書き、全国講演行脚に出かけ、各地でも学びなおし生きなおそうという女性たちの熱気に触れた。
それから国際文化交流や女性学研究の集いを発足させ、大学に招かれてーーという時期を
過ぎ、私は今度は教える側に立っていたものの錆付いた頭を磨くべく、京都生涯教育研究所を立ち上げた。昔からの講師仲間が半分。これに私より若い世代も参加し、会議や講座の開催や単行本の刊行や共同研究を重ねている。この研究所が発足して、今年は10年になる。
京都生涯教育研究所を母体に「京都文化創生実行委員会」や「新東山文化創生実行委員会
」を発足させ、文化庁の助成事業をこなしている。大雑把に言えば、大学教員だった人は70
歳でもまだまだ忙しい。定年になったら仕事がないという人はこの研究所に来ないようだ。
目を見張るのは企業を退職した還暦おじさんたち。自己啓発というより社会貢献が好きだ
という男性たちが現れ、緑化運動に取り組む。あるいは地域史のガイドを勤める。彼らの年金は女性の2倍以上。経済的にゆとりがある。そういう人たちの中には福祉ボランティアなども。輝くおじさんの時代の到来である。高度成長期を支えたリーダーたちはてきぱきしている。組織活動のノウハウが活かされているようだ。このところ、楽しみが増えた。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~lifelong/atsuko/
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